有限会社アロー技研 の日記
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米粒が教えてくれたこと
2011.12.10
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立て続けに昔のお話です。
予備校生の頃、予備校近隣に一人住まいをしている友人の部屋がアジトでした。
カルビー社製ピザポテトと午後の紅茶ミルクティー1.5Lを持参するのが常でしたが、
その日は何を思い立ったか、道沿いにあったダイエーで高菜と味の素を購入し推参。
アジトにつくや、家主に炊飯を指示し調理の段取りをおっ始めました。
あたしの指示通り、やや固めに炊き上げられたお米達はフライパンの中へ。
間もなく高菜炒飯の完成でございます。
まぁ、可もなく不可もなく普通に美味しく頂きました。
買い置きの午後ティーミルクとキャビンマイルドを堪能したのち、
後片付けもあたし主導で執り行われた訳ですが、
フライパンが悪いのか、腕が悪いのか、炒飯の宿命なのか、
コンロ廻りの米粒掃除が大変でございました。
あたし『 台所散らかして悪かったね。』
家主 『 いや、逆に綺麗になるから、また調理してくれ。』
あたし『 ??? 』
さて、ここからが本日の焦点。
普通に生活していれば、ありとあらゆるところに埃が溜まります。
しかし、これは毎日少しずつ少しずつ溜まっていくために、
アウトの基準が非常にファジーで難しいものなのです。
いやいや、まだ全然綺麗でしょ。
と、自分ではセーフと思っていた事でも、
第三者が見ると完全にアウトの事だってあるんです。
どこかで聞いた台詞ですけどね。
この場合、米粒により一旦完全アウトになった事をきっかけに、
ストレスフリーかつ至極自然な流れでセーフ化(清掃)が始まり、
結果アウト前よりもずっと綺麗な状態に出来たという訳です。
この高菜炒飯理論を理解し、上記の?が消滅したのは
あたしが一人暮らしを始めた後のことでした。
つまり、誰の目から見てもアウトの事象に対しては人は改善しようとしますが、
主観の角度によって、セーフに見えてしまう事象に対しては、
その角度を頑なに守り、セーフとして放置してしまう傾向にあるのです。
と断言できるほどの実験結果は持ち合わせていませんが、こう思うのです。
故三沢光晴氏を偲び、これを危険な角度理論とよんでいます。
これは、台所廻りに限らず仕事や人間関係に於いても成り立つ理論でして、
緊急性を要する命題にかまけて、放置してきた事象を炙り出すのに効果的です。
忘年会・大掃除・年賀状作成など、あと三週間でこなすべき予定は山積ですが、
仕事に追われる日々の中にあっても、この危険な角度理論宜しく
色々な角度から物事を捉え慎重にジャッジして参りたいものです。